在宅緩和ケアのケース

がん緩和ケアを自宅で受ける

太郎さん65歳は、妻の花子さん63歳と二人暮らし。

定年退職後に畑仕事をしたり、時々妻と旅行に行ったりして、のんびりと暮らしていました。車で1時間くらいの所に住む息子(大輔さん)35歳は、嫁(恵さん)33歳、小学生の孫(あおいちゃん)と毎月遊びに来てくれます。

太郎さん夫妻は、それをとても楽しみにしていました。

 

症状の出現

ある日、太郎さんが畑でジャガイモ掘りをしていると背中に痛みが! 『痛てて』

『どうしたんべぇ? ちっとがんばり過ぎたかな』とはじめは気にせずいましたが、それからも時々背中の痛みを感じるようになりました。

 

診断・告知

しばらくして、やせてきた夫の太郎さんを見て、妻の花子さんが心配になり、かかりつけの診療所で診てもらうことになりました。

担当医師より『大きな病院で検査をしましょう』と勧められ、大学病院を受診することとなりました。検査の結果、膵臓癌と診断され、肺と肝臓にも転移していることがわかりました。太郎さんは、医師から手術や抗がん剤もできないくらいに進行していて、余命は数ヶ月であることを告知されました。

 

葛藤から受け入れ

『なんで自分がこんなことになるんだんべぇ・・・』と最初は気持ちがひどく落ち込みましたが、妻や息子にも励まされ、少しずつ気持ちの整理ができてきました。

そして、『おらぁ、できれば近くの診療所で診てもらいてえな。』と思うようになりました。太郎さんの思いを家族も受け入れてくれ、できるだけ家で過ごすために、大学病院からかかりつけの診療所に紹介状を書いてもらいました。

 

かかりつけ医での緩和ケアの開始

紹介状を持って診療所の医師に相談すると、医師から『わかりました。今後は、がんとうまくお付き合いしながら生活していくことを考えましょう。笑って生活できることが寿命を延ばすと言われています。痛みやつらいことは我慢せずに教えてください。今後、必要があれば往診しますし、私の他にも看護師や薬剤師、リハビリ、管理栄養士、それにケアマネやヘルパーなど多くの職種の職員が、ご自宅にお伺いして、太郎さんだけでなく、ご家族もサポートします。何かあった時には、いつでも入院できる病院も手配しておきますから安心してください。精一杯応援させていただきます』と力強く話されました。それを聞いた太郎さんや妻の花子さんは、とても心強く思いました。

 

外来通院と訪問看護師

それからは診療所に通院して、痛み止めの飲み薬を処方してもらい、痛みはほとんどなくなりました。また、先生の指示で訪問看護師さんに月に2回ほど自宅に来てもらうことになり、自宅での生活の様子を見てもらいながら、体の相談をすることができました。太郎さんは限られた時間をできるだけ家族と過ごしたいと考え、外出や旅行についても相談することができ、孫の運動会や妻との温泉旅行に行く計画を立てました。

 

家族との団欒

運動会当日。太郎さんが運動会に来てくれて、孫のあおいちゃんはとても喜んでくれました。

『じいじが来てくれたから、あおい、1等を取ってくるね。』途中で転んでしまい1等は取れなかったけど、じいじが応援してくれたから、あおいちゃんも頑張りました。

 

妻の花子さんと温泉旅行へも行くことができました。のんびり温泉に浸かっていると病気の事を忘れることができました。

 

介護保険開始

その後、徐々に病気は進行し、太郎さんは次第にひとりでは歩くことができなくなりました。

そこで、妻の花子さんは福祉課に行って、介護保険の申請をしました。

担当のケアマネさんが決まり、介護用のベッドを借りたりポータブルトイレを購入したりすることになりました。

 

訪問診療開始

ベッドで過ごすことが多くなり、診療所へ通院するのが大変になったため、先生が自宅に来てくれる訪問診療に変更してもらうこととなりました。先生が毎週自宅に来てくれるので、太郎さんはとても安心しました。

 

病状の急変と緊急入院

ある日の夜、強い痛みがあり、痛み止めを飲んでも良くなりません。妻の花子さんは訪問看護師さんに電話で相談をしました。頓用の痛み止めを飲んでも痛みが取れないと話すと、訪問看護師さんはすぐに自宅に来てくれました。しかし、激しい痛みで動くことができなかったので、担当の先生に相談し、近くの病院に入院することになりました。

 

入院中の生活

夜中の入院でしたが、当直の先生がモルヒネの点滴をしてくれ痛みはすぐに治まりました。病院の看護師さんたちも『何かあったらすぐにナースコールを押してくださいね』と、とてもやさしく対応してくれました。入院生活は居心地が良く、安心していられた為、入院当初は『家族にも迷惑にならないしこのまま入院していてもいいかな』と思いましたが、数日いると、やはり家が懐かしくなり、帰りたい思いが強くなってきました。

 

本人と家族の葛藤、そして退院へ

症状もだいぶ落ち着いてきたため、今後の方針について、医師、太郎さん、ご家族で面談を行うこととなりました。

太郎さん「やっぱり、できれば家に帰りたいんだ」

花子さん「そんな。。まだ痛み止めの点滴もしてるし、何かあったら困るから、病院にいてもらった方が安心よ」

大輔さん「母さんは膝が悪いし、よく聞く介護疲れで二人とも倒れてもらっても困る」

太郎さんは自宅への退院を希望しましたが、心配する家族が反対しました。。


医師は「モルヒネの点滴は自宅でもできますし、何かあった時用のお薬も用意しておきます。夜中に何かあっても、訪問看護師さんや医師と電話で相談でますし、必要があれば往診もします。もちろん、必要あればいつでも入院できるようにもしておきます。それと、がんの患者さんは亡くなる1〜2週間前までは動けますので、介護が大変な時期も長くはならないことが多いです。その時にもヘルパーさんや看護師さんなどいろいろな人たちが助けてくれますよ。」と話しました。

 

妻は『それなら、不安だけど、一旦退院してみようか。何かあってもすぐに入院できるんだから』と了解してくれました。

痛み止めのモルヒネはは、皮下点滴に変更になりました。皮下注射の点滴は小さいボールのようなものをぶら下げるので、あまり気にならない物でした。1週間ほどで退院となりました。

 

訪問看護師(週3回の訪問へ)

退院後は訪問看護師さんは週に3回来てくれて、太郎さんの症状は状態について細かくチェックしてくれるようになりました。

 

訪問薬剤師(自宅での薬の管理とアドバイス)

退院後は訪問看護師さんだけでなく、訪問薬剤師さんが週1回のように来てくれて、主治医と連絡をとりながら点滴の痛み止めを調整や飲み薬の調整してくれました。太郎さんは、すっかり痛みもなくなり夜も良く眠れるようになりました。気持ちも明るく、前向きになりました。

 

ケアマネジャー(生活で困ったことをなんでも相談できる)

退院後、妻の花子さんは医療で困ったことは主に訪問看護師さんに相談していましたが、移動や食事のことなど、生活に困ったことがあると担当のケアマネジャーさんに相談することができました。担当のケアマネジャーさんは、すぐに必要なサービスを使えるように手配してくれました。

 

訪問リハビリ(転倒予防、骨折予防、家族の負担軽減)

太郎さんは、家の中でどう動いたら楽に動けるか、転倒しないように動けるか、いかにポータブルトイレで安全に排泄するかを訪問リハビリに来てもらい一緒に考えてもらいました。また、むくみに対してもマッサージをしてもらいました。

 

訪問栄養士(がん患者によく起こる味覚の変化への対応)

食事がほとんど食べられなくなり、いつもの元気がなくなってしまった太郎さん。妻の花子さんは、太郎さんが「何なら食べてくれるのか」「何を食べさせたら良いのか」どうしたらよいか困ってしまいました。そこで、訪問栄養士さんに相談すると食べられるものが見つかって、太郎さんと花子さんにも笑顔が戻りました。

 

訪問介護(排泄介助、オムツ交換)

退院当初はポータブルトイレで排泄の介助をしてもらっていましたが、次第にポータブルトイレに移るのが大変になり、ヘルパーさんに訪問してもらってオムツの交換をしてもらうことになりました。

 

訪問入浴(始めは抵抗感が強いが導入すると非常に喜ばれるサービス!)

しばらくして、動くことが大変になり大好きなお風呂に入れなくなってしまいました。

担当のケアマネさんに話をして、訪問入浴を利用することになりました。

お風呂に入れた太郎さんは『ああ~いい気持ち 極楽 極楽』と満足そうでした。

 

在宅で胸水腹水穿刺、在宅酸素療養

退院後しばらくして、急に胸が苦しくなったため、主治医に緊急訪問してもらいました。自宅でエコー検査をすると胸やお腹に水が貯まっていることがわかりました。その場で先生に針を刺して水を抜いてもらい、楽になりました。水が貯まると呼吸が苦しくなるので、在宅酸素を入れてもらうことになりました。酸素をした太郎さんは、さらに楽になりました。

 

家族の反応

退院当初は不安だらけの花子さんでしたが、退院後はケアマネジャーさんや訪問看護師さんが何でも相談に乗ってくれ、状態に合わせていろいろな在宅治療、在宅サービスを受けることができ、負担や不安もそれほど多くなく過ごすことができました。また太郎さんが自宅で孫のあおいちゃん達と笑顔で生活している姿を見て「あのとき迷ったけど、自宅に帰ってくることができてよかったな」と思いました。

 

徐々に意識が低下、食事も水分も取れなくなる

太郎さんは、徐々に眠っていることが多くなりました。それでも花子さんや孫のあおいちゃんが『おじいちゃん』と声をかけると、目を開けてくれます。食事もほとんど食べられなくなりました。水でもむせてしまいます。むせると呼吸が苦しくなるため訪問看護師さんに『無理に飲ませなくてもいいですよ』と言われていたので、口の中を湿らせるだけにしました。

 

太郎さんの遺書

声をかけても目を開けなくなり、ずっと眠っているようになりました。

妻の花子さんが、太郎さんの枕元にある「日記」を見つけました。そこには、こう書いてありました。

“そろそろ覚悟をしなければならない。癌になった事は悔しかったが、最後にみんなと思い出が詰まった自宅で過ごすことができて、家族の絆が強くなったことを感じたよ。花子には、これまで本当に苦労をかけた。最後のわがままを聞いてくれて、ありがとう。心から感謝している。大輔、これからお母さんを頼む。恵さんとも仲良くな。あおいちゃん、次は1等が取れるようにじいじは天国から応援しているからね。みんな、ありがとう。“と書いてありました。

 

「お父さん!」と妻の花子さんは、泣き崩れました。

「お父さん、ありがとうは、こっちのセリフだよ。お父さんと一緒になれてとても幸せだったよ。ありがとう」

 

その後、太郎さんは次第に呼吸が浅く不規則になって来ました。訪問看護師さんが、耳は最期まで聞こえているはずと事前に教えてもらっていたので、家族みんなで一人ずつ『ありがとう』と言うことができました。太郎さんの目から一筋の涙が流れていました。

 

臨終(在宅では家族で十分なお別れをすることができる)

その後、太郎さんは、静かに息を引きとりました。家族みんなで泣き、家族だけで十分にお別れをしてから、訪問看護師さんに電話をしました。

 

先生と訪問看護さんが往診してくれ、死亡確認をしました。先生は「花子さん、良く頑張りましたね。太郎さんとても喜んでいると思いますよ。」と言ってくれました。花子さんは「あのとき迷ったけど、自宅に帰ってこれて本当によかったです」、大輔さんは「大変な時期もあったけど、オヤジの死にきちんと向き合うことができました。後悔はありません。」と涙を見せながらも穏やかな表情でした。

 

家族みんなで死後の処置(亡くなった直後でも笑顔があるのは在宅ならでは)

エンゼルケア(死後の処置)は、訪問看護師さんにお願いしました。訪問看護師さんは全身をきれいに拭いてくれました。妻の花子さんも一緒に拭きました。太郎さんが『俺が死んだらこのスーツを着せてほしい。仕事でよく着ていたスーツだから一番俺らしいよな』と言っていた希望通りに、そのスーツを着せてくれました。大輔さんがネクタイを結んでくれ、ひげも剃ってくれました。靴下はあおいちゃんと恵さんがはかせてくれました。白髪混じりの髪の毛をきれいに櫛で整えるととてもかっこよくよくなり、「お父さん、これじゃ、惚れなおしちゃうよ」と花子さんが太郎さんに話しかけていました。太郎さんの思い出話をしながら、エンゼルケアをしている時はみんな笑顔でした。

 

太郎さんはとても穏やかな顔をしていて、まるで眠っているようでした。そんな姿を見て、大輔さんも自宅で死ぬのも悪くないなと感じていました。

 

このシナリオを元に作成したアニメを作成しました。どうぞご覧ください→アニメでわかる「在宅緩和ケア」

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加藤 寿

総合診療科祐ホームクリニック
職業:医師、専門:総合診療科、緩和ケア 自治医大を卒業し、埼玉県秩父地域で総合診療科として地域医療に従事。緩和ケアチームを立ち上げ、在宅医療の充実を図り、住み慣れた自宅で最期まで過ごせる地域作りに貢献してきた。医療の原点は地域にあると感じ、人を診る医師、地域を診る医師の育成を目指す。

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