延命治療について考える

あなたにとって「延命治療」とはなんですか?

医療現場では、よく以下のような会話を聞きます。

医師:「いざという時は、心臓マッサージなどの蘇生処置を希望しますか?」

長男:「母はもう歳なので、延命治療はしなくていいです」

医師:「わかりました、それでは、心臓が止まったとしても、蘇生処置は行いません。」

長男:「それでいいです。宜しくお願いします。」

 

この会話にはおかしな点がありますが、お気付きですか?

医師は「蘇生処置」と言っているのに対して、長男は「延命治療」と言っています。

「蘇生処置」=「延命治療」ということなのでしょうか?

 

医療に対する考え方が変わってきている

最近は、延命治療を希望しないという風潮があります。

今までの医療界では、脳卒中で食事が食べられなければ胃瘻(胃に穴を開けてお腹から管を通す)や胃管(鼻から胃に管を入れる、鼻管とも呼ばれる)で人工的に栄養を流し込み、肺炎で呼吸ができなくなれば人工呼吸器を装着し、癌で心臓が止まれば心臓マッサージをして、とにかく意識がなくても寝たりきりでもどんな状態でも命を永らえらせることが最優先として治療が行われてきました。

しかし、こんな考え方が出てきました。

意識がない状態で管からの栄養でただ生きることを、本当に本人が望んでいるのか?

癌の末期で助かる見込みもないのに心臓マッサージをして意味があるのか?

医療の現場でも、そのような疑問が生まれ、このままで良くないとの考え方が広まってきました。また、延命治療をされる人たちの姿を見てきた一般の方の中にも、自分にはそういう処置をしてほしくない希望する人が増えてました。医療が発展し、「生かすこと」はできるようになってきた現代だからこそ、家族の、そして自らの人生の最終段階における医療をどのように考えるのか?非常に難しい問題に迫られています。そんな中でよく言われるのが「延命治療」。今回は、この延命治療について、今一度よく考えて見たいと思います。

 

全ての治療は、ある意味「延命治療」である

ここで一つ問題があります。延命治療とはなんのことを指すのか?ということです。

実は「延命治療」の定義はありません。皆さんのイメージでは心臓マッサージや人工呼吸器、さらには胃瘻や胃管による人工栄養のことを「延命治療」と呼んでいるのかもしれませんが、これらは全て、命を助けるために行われる「救命治療」でもあります。「延命治療」は読んで字のごとく、命を延ばす治療のことですが、その意味でいうと、医療行為のほとんどは命を延ばすために行われる治療なので、全て延命治療になってしまいます。この「延命治療」と「救命治療」、どのように分けて考えるべきなのでしょうか?

 

何が「延命治療」であるかは、その人次第

簡単にいってしまえば「無意義に命を永らえらせるだけのための治療」が「延命治療」と考えられるわけです。じゃあ、その時と場合によって担当する医療者がいわゆる「延命治療」がなんのなのかを判断してくれればいいじゃないかと思われるかもしれません。

しかし、何を持って「無意義」とするかは非常に難しい問題です。その治療を行うことによって「どのくらいの確率で救命効果が期待されるか」「どのような状態になることが予想されるか(歩ける?食べれる?話せる?意識がある?)」「どの程度の期間の寿命が望めるか」などが判断材料になると思いますが、それぞれどの程度であれば意義があって、どの程度であれば意義がないのかは人によって千差万別です。3割の確率で命が助かる治療は、確率が高いと考えるのか、低いと考えるのか。口から食事はできずに寝たきりだけど、家族と簡単な会話ができることは意義がある状態なのか、ない状態なのか。1ヶ月命が伸びるのは長いのか、短いのか。全て、その人の考え方次第なのです。

すなわち、ある人にとっては「延命治療」であっても、ある人にとっては「救命治療」である可能性もあり、「延命治療」がなんなのかを一概に定義することや医療者が判断することはできないのです。

 

そうはいっても、全く知識がないと判断も難しいと思います。一般的に延命治療となる可能性のある医療行為を解説します。

 

心肺蘇生

心臓も呼吸も止まってしまった時に行われます。具体的には、心臓マッサージ(正式には胸骨圧迫)をして、人工呼吸を行なって、心臓を動かす薬剤を投与します。必要があれば電気ショックも使います。たまに、心臓マッサージだけで、人工呼吸はしないでくださいと言われることもありますが、全てセットで行われるのが基本です。でなければ本来の目的である救命の効果が出ないですし、心臓マッサージは肋骨が折れるくらいに強く行うものですので、それだけ行うのは本人に苦痛を与えるだけになってしまいます。

心肺蘇生の成功率ですが、やはり高齢であればあるほど、病気が重症であればあるほど、低くなりますし、救命できても後遺症が残る可能性が高くなります。

 

人工呼吸器

肺炎や心不全などが重症になり、自分だけでは十分な酸素を取り込めなくなった場合に行われます。管を気管に入れて人工呼吸器につなぐので話しをすることはできませんし、意識があると苦しいので、通常は眠らせる点滴を行います。そして2~3週間経つと、気管切開と言って喉に穴を開ける手術が必要になります。また、現在の日本の医療状況では、「病状が良くならなかったから、もう可哀想だ。治療をやめてほしい。」と言っても、人工呼吸器を外すことは難しいと思われます(治療中止のためのガイドラインはありますが、それを裏付ける法律がないためです)。

これも、高齢であればあるほど、病気が重症であればあるほど、状態が改善して人工呼吸器を外せる確率は下がります。

 

人工栄養

人工栄養には胃や腸に栄養を流し込む「経管栄養」と太い静脈にカテーテルを入れてカロリーの高い点滴を行う「中心静脈栄養」の2種類があります。特に経管栄養は、脳卒中や認知症になって自力で食事が取れなくなった場合に行われることが多いです。「胃瘻(ろう)」は胃に穴を開ける手術を行いますが、「胃管」は鼻から管を入れるだけで済みます。しかし、「胃管」は本人の苦痛が強いだけでなく、頻繁な交換が必要、本人が抜いてしまわないように手足を縛ったり手にミトンをつけたりすることが多い、誤嚥のリスクにもなるので口から物を食べることができないなど、長期的に栄養管理には不向きです。長期的に人工栄養を行うのであれば、「胃管」よりも「胃瘻」を選択することをオススメします。

 

人工透析

糖尿病などで腎臓が悪くなり、尿によって体の毒素ができなくなった時に行われます。週に2~3回、基本的には一生行う必要があります。

 

輸血

なんらかの原因(胃潰瘍からの出血、腫瘍による消耗など)によって高度の貧血になった時に行われます。副作用に感染症とアレルギー反応があります。特にアレルギー反応は発生確率は低いのですが、一旦起こってしまうと救命は困難と言われています。輸血が1~2回で済むのであれば、特に問題になることはないかと思われますが、回復の見込みがないのに何度も何度も輸血を行うことは、医療倫理上の問題になることもあります。

 

点滴

食事が取れなくなってきた時に、点滴をしてくださいと頼まれることがよくあります。あたかも、点滴は万能薬かのように捉えている人もいます。しかし実は、一般的な点滴はスポーツドリンクくらいのカロリーと栄養しかありません。すなわち、点滴だけでは到底生きていけません。点滴の目的は、「一時的な脱水の治療」です。その後も食事や水分が取れない状況が続くならば、延命と言われるかも知れませんし、点滴を長く続けると、体がむくんだり、肺に水が溜まったりするので、逆に体に負担をかけたり、苦痛を招くことにもなります。

 

抗がん剤治療

抗がん剤治療は癌を完全に治すためのものではなく、あくまで進行を抑えて寿命の延長や症状の緩和を目的として行われるものです(手術の前後で根治の確率を上げるための抗がん剤治療は別です)。そのため、人によっては延命治療と表現する人もいます。現在は様々な抗がん剤が開発されており、どのように向き合っていくかは人それぞれです。詳しく知りたい方はこちらの記事をご参照ください。

 

本人にとっては延命治療でも、家族にとっては救命治療

意識がない高齢者もしくは、意識があってもほとんど話ができない高齢者に胃瘻による人工栄養を行う、人工透析を行う。外から見れば、延命治療にしか見えないかもしれません。しかし、その人がそのような状態でも生きていること自体が、家族にとっては支えになっていることもあります。

人間は社会的な生き物です。他者との繋がりが保たれているのであれば、その生には意義を見出すことはできます。また、そんな家族の思いを本人が知ることができたのなら、本人の治療に対する希望も変化するかもしれません。本人の意思は一番尊重されるべきですが、残される家族の気持ちも含めた考え方も、やはり重要だと思うのです。

患者本人という単体で見た時と、患者の背景まで含めて見た時とでは、延命治療の考え方は大きく変わってしまう。このことも覚えておく必要があると思います。

 

 

アドバンス・ケア・プランニングの重要性

これまで見てきたように、「延命治療」というのは実は非常に曖昧な言葉で、「延命治療はして欲しくない」とただ言われても、家族も医療者も困ってしまうことがあります。

大切なことは、自分が何を大事にしたいのか、何を目指して生きていきたいのか。

つまり、どのように生きて、どのように死んで生きたいのか。

そして、家族にはどうして欲しいのか。

そんな「思いの共有」が必要なのです。それがあって初めて、家族も医療者も何があなたにとって「延命治療」なのかを考えることができるのです。そして、それを可能にするのが本人、家族だけでなく、医療者も交えて行う「アドバンス・ケア・プランニング」。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

 

是非とも、延命治療について、自分の未来について、今一度お考えいただければと思います。

 

 

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加藤 寿

総合診療科祐ホームクリニック
職業:医師、専門:総合診療科、緩和ケア 自治医大を卒業し、埼玉県秩父地域で総合診療科として地域医療に従事。緩和ケアチームを立ち上げ、在宅医療の充実を図り、住み慣れた自宅で最期まで過ごせる地域作りに貢献してきた。医療の原点は地域にあると感じ、人を診る医師、地域を診る医師の育成を目指す。

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